本田雅俊(ほんだ・まさとし)
金城大学特任教授/政治行政アナリスト
元内閣官房副長官秘書/元衆議院議員秘書
生年月日:昭和42(1967)年3月24日生まれ【ひつじ年・牡羊座・O型】
身長:180センチ/体重:72キロ
資格等:法学博士・行政書士・防災士
趣味:散歩・読書・城めぐり
昭和42(1967)年3月24日生まれ(48歳)。1歳から小学校4年まで米国(フィラデルフィア)で過ごす。帰国後、富山大学附属中学校、富山県立富山中部高等学校を経て、平成元年に慶應義塾大学法学部政治学科卒業。中学、高校時代はサッカー部でゴールキーパーを務めるが、いずれの県大会でも決勝戦で敗れ、全国大会出場を逃す。高校時代の最強のライバルは富山第一高校。
大学在学中に大島理森代議士(現・衆議院議長)の知遇を得て書生兼秘書になり、卒業後、内閣官房副長官秘書などを務める。そうした関係もあり、現在でも永田町や霞が関、マスコミ業界に知り合いが多い。なお、副長官の秘書時代には湾岸危機を首相官邸で経験。その後、慶應義塾大学大学院法学研究科(政治学専攻)に入学し、平成10(1998)年に修了。法学博士の学位を授与される。博士論文のテーマは『わが国の内閣に関する政治学的考察』。
大学院博士課程修了とともに、31歳で武蔵野女子大学(現・武蔵野大学)現代社会学部助教授に就任し、平成16(2004)年まで務める。この間、洗足学園大学短期大学、杏林大学、慶應義塾大学、北陸大学などで非常勤講師も歴任。また、平成13(2001)年から同15(2003)年まで米国ジョージタウン大学(Georgetown
University, School of Foreign Service)にて客員助教授として「日本政治」の講義・ゼミナールを担当。米国滞在中、同時多発テロの悲劇に遭遇。
平成16(2004)年に政策研究大学院大学助教授、同19(2007)年に准教授になり、同22(2010)年まで務める。この間、アジア諸国からの留学生(各国政府の幹部候補生)に英語による「日本の政策過程」の講義を担当するとともに、公務で米国のほか、アジア・オセアニア地域の約30カ国を訪問。また、米国ハワイ州立大学日本研究センター講師やタイ王国幹部公務員研修講師、北京大学大学院日本研究講座客員研究員、Freeman
Foundation Summer Institute on Japan 講師なども歴任。
国・地方自治体の公職では、平成11(1999)年4月から翌年4月まで参議院議長(斎藤十朗議長)の私的諮問機関「参議院の将来像を考える有識者懇談会」の幹事を務めたほか、同12(2000)年に総理府地方分権推進委員会の審議協力員、同15(2003)年に内閣府構造改革特区評価委員会の専門委員、同18(2006)年に青森県八戸市政策参与、同20(2008)年に衆議院事務局顧問、同22(2010)年に富山県射水市政策アドバイザー、同23(2011)年に富山市行政改革推進委員会委員などを歴任。また、平成19(2007)年の衆議院憲法調査特別委員会および同27(2015)年の衆議院予算委員会の公聴会において公述人として意見を陳述。
平成23(2011)年に金城大学(石川県白山市)に転じてからは、講義のほか、政治行政アナリストとして、日本の政治や政局、地方議会改革、地域活性化などに関して国内外で年十数回の講演に招かれるとともに、執筆活動を行う。